掲載日:2024年10月10日
更新日:2024年10月11日
青森県三戸郡新郷村にはキリスト教に出てくるイエス・キリストの墓が存在する。
本来であればエルサレム旧市街の聖墳墓教会にイエス・キリストの墓があるとされているが。
青森になにがあるのか見ていきたいと思います。
新郷村は、青森県の南部、十和田湖あたりにある人口約2000人の小さな村です。
知名度はないですが、キリストの墓はミステリー雑誌などでも紹介されており、知る人ぞ知る名所です。
毎年6月にはキリスト慰霊祭が開催されており、2024年には60回目が開催されました。
【アクセス】
青森市街地から:約1時間30分
八戸市街地から:約1時間
発見者は、新興宗教天津教を開いた竹内巨麿氏です。
1935年(昭和10年)、「キリストが日本に逃れ、新郷村(旧戸来村)に渡来し106歳の生涯を閉じた」という湧説が、皇祖皇太神宮の竹内家に伝わる竹内文書から出てきました。
そして竹内は直接現地へ向かい、新郷村のキリストの墓を発見しました。
そもそも竹内文書とは、古事記・日本書紀よりも古い時代に書かれた古文書で、神代文字で書かれていたとされているものです。
しかし、学会などからは偽書とされ、正式な記録と認められていません。
(近代の語彙が混じっていることなどを根拠に偽作と断定)
竹中文書の内容が気になる方はこちらから
キリストの里公園には2つの墓があります。
1つはキリストの墓。もう一つがイエス・キリストの弟イスキリの墓です。
イエスの兄弟についてGoogleで調べると『マルコ福音書』ではイエスにはヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ及び妹2人がいるみたいです。
しかし弟イスキリの名前は出てきませんでした。
青森の新郷村には弟イスキリについて以下が記載されていました。
昭和10年、茨城県の磯原市(現北茨城市)から訪れた武内巨麿氏により、武内家の古文書をもとに発見されました。
古文書によると、ゴルゴダの丘で磔刑に処されたのは弟のイスキリであり、キリスト本人は日本に渡り、ここ新郷で106才の天寿を全うしたというのです。
向かって右側がキリストの墓"十来塚"、向かって左側が弟イスキリの墓"十代墓"と言われており、毎年キリスト祭では慰霊祭が行なわれ、ナニャドヤラの唄と踊りが奉納されます。
歴史が改変されていますね笑
キリストの知名度にロマン広がるみたいなことが書かれていました笑
正直で好感が持てます笑
キリストの里公園では、煙草がどこでも吸えるよう灰皿がいたるところに完備されていました。
ここではSDGSという言葉は聞かなそうですね笑
海外の掲示板Redditにて新郷村のキリストの墓についてコメントが書かれていました。
・そうそう、ヨセフとマリアの第二子イスキリ……えっ!?
・イエスが日本との往復に使った交通手段は何だったのだろう。
・よくこういう間違った情報を書けるよな
・弟を身代わりにしたというストーリー
・この話が本当だとしたらイスキリが可哀そうすぎる
・日本が移民を受け入れるとは思えない
海外の方も間違った情報だと思っているようですね・・・
Reddit キリストの墓について海外の反応
URL: https://www.reddit.com/r/Damnthatsinteresting/comments/1c8i3m9/the_tomb_of_jesus_christ_allegedly_discovered_in/
今回は青森県新郷村にあるイエス・キリストの墓を見てきました。
教科書では学べない歴史が発見できましたね。
実際真実なんて今更証明できないです。
ですから田舎では今回みたいなことはたくさんあると思います。
嘘だと決めつけるより、面白く受け止めましょう。
それが平和への一歩なのだから・・・🕯ε=(¯。¯ )フゥ
ちなみにトイレは閉鎖されていました。
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