掲載日:2024年09月13日
更新日:2025年01月03日
バブル期に宿泊者数が年間300万人を超えた鬼怒川温泉
かつては静岡県の熱海温泉と共に東京の奥座敷と言われていたがバブル崩壊とともに旅行客は減少していきました。
現在でもバブル崩壊前に建設された建物が残っているため、今回はこちらに訪問しました。
東京から鬼怒川温泉へ行くには、電車、車、バスの3パターンがあるそうです。
私は、車と電車で2回訪れたので紹介します!
車の場合
運転時間:約3時間
土曜日に行ったということもありますが、2車線道路が多かったです。
電車の場合
東京駅⇒栗橋駅⇒下今市駅⇒鬼怒川温泉駅⇒鬼怒川温泉ホテル
乗車時間:約3時間20分
合計:1990円
電車の場合、これが最安値ですが最も遅いです笑
少人数で行くのでしたら絶対電車のほうがいいです!
鬼怒川温泉には廃墟がありますが、現在も全国の温泉地ランキングでトップ5に入ります。
年間200万人以上の宿泊客が訪れており、弱アルカリの性質なので肌にやさしく、火傷、皮膚病、胃腸に効果があり、神経痛・リウマチなどの神経系への効果もあるとされ誰でも入りやすくなっています。
また渓谷があり、秋の紅葉は特に観光客が多くなるそうです。
ただ熱海などの温泉地とは違い、鬼怒川はホテル内で需要を満たすホテルが多く、温泉街へ出かける宿泊客が少ないため活気はあまりないように見えるそうです。
鬼怒川温泉は1691年 沼尾重兵衛をはじめとする村民が源泉を発見し、下滝温泉として開湯しました。
当時は日光の寺社領(神社の維持運営のために支配権が行使されている土地)だったため、日光東照宮に参詣した僧侶や大名のみが入ることを許されていました。
しかしそんな歴史がある温泉は明治4年 「上知令」が発布され、神社や寺が持っていた領地を境内を除いて朝廷が没収しました。
そのため明治以降一般開放され、たくさんの人が押し寄せるようになりました。
そして昭和2年 大きくなった温泉街をまとめて鬼怒川温泉とし、現在の大型温泉街となりました。
補足
上知令が発布された理由は、明治2年 各藩が版籍奉還によって朝廷に土地や人を返還したのに、神社や寺は許されてるのはおかしいという意見があったためです。
昔の人は神社や寺を神聖視しているのかと思っていたのですが、意外とそうでもなかったかもしれないですね笑
1980年代にはバブルがあり、鬼怒川温泉もその恩恵を受けました。
観光需要の増加によりホテルの新館を増設し、設備もより豪華になり観光地として存在感を強くしました。
バブルのころは会社に忠誠を誓うよう社員旅行がたくさん行われており、それに合わせて建物を大きくしていました。
それが大きな足枷となりました。
バブル崩壊後は観光客が減少。旅行スタイルも団体から個人へ変化していきました。
鬼怒川温泉は多すぎる部屋数、使われない大型宴会場によって経営が立ち行かなくなり次々に破綻していきました。
さらに所有者の失踪、道路が狭く重機が入れない、崖沿いに建築されているということが重なり、現在の廃墟群が完成しました。
老朽化した建物が鬼怒川温泉の景観を損ねるため、鬼怒川温泉周辺のホテルも迷惑している状況です。
さらにいつ倒壊するかもわからないため、市も撤去を検討しているが断念したといいます。
しかし、廃ホテル前には真新しいバス停がありました。
現在も運行されているとのこと。
廃墟だからといって不法侵入してしまう人がいます。
さらにゴミも捨てていく輩がいるため、市職員が立ち入り禁止の張り紙を設置しました。
さらに出入口も封鎖する工事も行われたため、今後事故は起こらないでしょう。
昔は大名や僧侶しか許されない温泉だった場所が、現在は廃墟に変わっているというマイナスイオンばりに諸行無常を浴びることになりました。
今後も廃墟は解体される予定はないため、立ち入ることは進めてないが是非見に行ってほしい。
それでも年間200万人以上も観光客がいるため、次回は普通の観光客として遊びに行きたい。
今回は以上となります!見てくれてありがとうございました!
共有
あなたの閲覧履歴